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戦国時代の国の生き延び方

現在の日本は戦争を放棄しているという立場なので、日本の抱える領土問題や現在の北朝鮮対応などを考えても、外交面で、いろいろと苦労しているなぁという気がします。

そんなことをあれこれ考えているうちに、ふと、日本の戦国時代というのはどうだったのだろうか???という疑問が湧いてきました。

まず、1つの疑問は、同じ日本の国の中とはいっても、当時の「国……例えば甲斐とか越後とか尾張とか」というのは、現在の「世界の中での日本、極東の中での日本」というように、独立して他の国と対峙しているのと同様に、「それぞれが、全く別の独立国として対峙していた」と理解しても良いでしょうか???ということです。確か足利将軍とかいうのもいましたよね。やはり、足利将軍のもと、日本は一つの国だったのでしょうか???

上述の繰り返しになりますが、現在の日本は、戦争を放棄しています。そのため外交の面でいろいろと苦労している面が多いと理解していますし、平和を維持するための経済的な負担というのも大きいと思います。2つめの疑問は、日本の戦国時代に、戦さを放棄して何とか成り立っていたという「国」はあったのでしょうか???という疑問です。それともすべて弱肉強食、合従連衡の世界で、戦さから逃れられた国はないと理解した方が良いのでしょうか???という疑問です。すべての国がいつも戦争をしていたというようなことでもなかったのではないかという気もするのですが、全く知識がありません。もし、戦さを放棄して国を維持したという事例、あるいはそれに近いやり方をして国を維持したという事例があったとすれば、それを紹介していただきたいというのが、質問です。ふと、真偽のほどは別にしてNHKの大河、「女城主直虎」の「戦さは嫌じゃ」というセリフなども頭に浮かんだのですが……誰でも戦さは嫌じゃと思いますが、私にしてはめずらしく、1年をとおして観ました。(*^_^*)

投稿日時 - 2018-06-18 04:53:15

QNo.9509456

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質問者が選んだベストアンサー

現在の民族アイデンティティに基づく国家思想というのはナショナリズムといいまして、フランス革命からこっちに生まれた意識なんですね。ここ200年程度の思想なのです。

江戸時代の人々の「国」という意識は「藩」になります。当時のパスポートにあたる通行手形を発行するのは「〇〇藩」という藩の名の下になりますから。
幕末で「日本人」という意識に基づいたような考えを持っていたのは、私は勝海舟くらいだったのではないかなあと思います。西郷隆盛も大久保利通も桂小五郎(木戸孝允)も「薩摩藩」「長州藩」という帰属意識で活動していたと思います。彼らがもっと広い視野を持てるようになったのは、新政府になって自分たちが全国を支配するようになってからでしょうね。

江戸時代に陽明学という学問が中国からやってきて「武士は二君に仕えず」という思想が広まりますが、戦国時代というのは日本史の中でも突出した「自由な時代」だったので、そこんところは実は超ドライです。

戦国時代の武士が帰属意識を持つのは「家」です。それは真田家だったり渡辺家だったりです。血族に基づいた「自分の家」を存続しまた繁栄させることがその家の当主の責務であります。なので、彼らが家臣となってどこかの家に仕える場合の選考基準は当然「自分の家を繁栄に引っ張り上げられる人」です。
それができなきゃ主君を変えるのは「当たり前のこと」なのです。隣の戦国大名がこっちの家の土地を荒らしてくる。自分が使えている主人はそれに対してどうも十分に対抗できない。隣の戦国大名は日々戦力も経済力も充実している。じゃ、隣の戦国大名に鞍替えしよう。そうなるのです。
中小の戦国武将が裏切ったりコロコロ主君を変えるのは、彼らからすれば「当たり前のこと。頼りにならない大名が悪い」です。

当然そのような実力主義なので、現在の当主がどうも頼りにならず、その弟のほうが聡明そうで頼りになるとなれば、今の当主を追い出すか殺すかして弟を新しい当主として持ち上げようという話にもなります。
戦国時代に殿様の座を巡って内乱が起きるのは、そういうことです。

井伊直虎は、戦国時代としても極めて稀に、井伊家にいる男たちよりも直虎のほうが優秀で人望があり、当主に相応しいと井伊家の人々が認めていたのでしょうね。「戦さは嫌じゃ」は脚本家のセリフだったとは思いますが、戦さが日常茶飯事だった時代に嫌だ嫌だとばかりいっていたらさっさと首をすげ替えられていたことでしょう。周囲の家に舐められないだけの迫力はあったのだと思います。わざわざ「虎」という字を当てはめていたのは舐められないためだったのでしょう。実際は「鉄の女」といわれたサッチャー氏や、うっかり一言批判したら十倍返しされそうな迫力を持っていたライス氏みたいな女性だったのかもしれません。

現代の常識で400年前の出来事を当てはめてはいけません。

投稿日時 - 2018-06-18 13:23:59

お礼

ありがとうございました。

戦国時代の「国」の役割や位置づけと武士の「家」に対する思いと行動というのが、少し理解できたような気がします。全く認識不足でした。今まで何のために歴史小説を読んできたのだろうかというむなしさと己の愚かさに(T_T)(T_T)(T_T)

こうなってくると、これまで「裏切り者」として評価してきた人物も、180度転換して考え直す必要が生じてきました。(T_T)(T_T)(T_T)(T_T)当時の武士の行動には、今、ロシアでやっているサッカーワールドカップで、国を背負って闘っている選手達の世界とは、次元の異なる、もっと切実な「家」に対する思いというのがあったということですね。しかし、江戸時代の武士よりも、戦国時代の武士のほうが、現代人の感覚には合っているのかも知れないなぁという気がしてきました。

もう歴史小説を読み返す気力、体力は残っていませんし、脳が軟化してきているので、これまでの認識を切り替えられるかどうか疑問ですが、大変参考になりました。

投稿日時 - 2018-06-19 04:24:26

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回答(3)

ANo.2

1つ目の疑問は全く別の独立国という都市国家に近いと思います。その上に幕府(足利にしても江戸時代の徳川)でその上に朝廷(天皇)がいるという状態です。
2つ目は戦さを放棄はしてないと思います。なぜかというと当時の戦は当時の農民の出稼ぎという所もありました。
戦さをやっていた時期が農閑期で春先になるとみんな農作業をするために国に帰って行ったりしました。
戦に限ったことではないですが乱妨どりを行っていましたよ。
当時人身売買で30万ぐらいで戦さの後は大量に乱どりが起きるので4千円位に下がったと言われています。
領民を食わすためにやっていたという所はあったみたいですよ。(米を増産より他の土地を取れみたいな部分)
で上杉謙信辺りは領地を増やすというかあまりそういう事に興味がなかったのか、自分からは戦はしなかったみたいです。
(ただ人身売買というか奴隷売買に関しては容認してたみたいですが。)

投稿日時 - 2018-06-18 07:39:04

お礼

ありがとうございました。

甲斐国や越後国が都市国家とは結びつきませんが、要は独立した「国」であったと言うことですね。

当時の戦は当時の農民の出稼ぎという所もありました。……私の言う「戦の放棄」というのとは意味が異なりますが、「農民の出稼ぎ」ということがあったのですか???全く知りませんでした。勉強になりました。「農民も出兵させられたということはあったかも知れないなぁ」とは想像しますが。

戦さをやっていた時期が農閑期で春先になるとみんな農作業をするために国に帰って行ったりしました。……かすかな記憶で、読んだことがあるかも知れません。武士にとっても、農民にとっても、米の出来、不出来は死活問題だったのではないかと素人ながら想像します。

当時人身売買で30万ぐらいで戦さの後は大量に乱どりが起きるので4千円位に下がったと言われています。……私の知識不足で、内容を理解できません。<(_ _)>戦で占領した土地を自分の所有とするために、もとの所有者を売り払っていたということですかねぇ。そのような意味であればあったかも知れませんね。しかし、何処に売るのだろうか???買い手はいたのだろうか???全く知識がありません。

投稿日時 - 2018-06-19 03:43:42

ANo.1

「国」という形のとらえ方でしょうかね・・

民主主義でもなかったので、戦で領主が交代し、国の領土もその都度、変わるわけですから「国」というイメージが、当てはまるかどうか・・かと思います

つまり、その領土を取っても役に立たない場所・・・のことまで、「国」とするのか?・・・少し、質問形態の整理が必要かと思います

投稿日時 - 2018-06-18 05:27:14

お礼

早速ご回答いただきありがとうございます。

少し、質問形態の整理が必要かと思います ……回答しづらい部分もあるかと思いますが、戦国時代のことやご指摘の「国」ということについてもまるで分かっていないので、これ以上整理が必要と言われても、その能力がありません。(T_T)

質問の範囲で解釈して下さい。

投稿日時 - 2018-06-18 06:25:46

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